謹賀新年

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

早いもので、晋山式後のお正月から早一年が経ちました。この間にも何人かの檀家の方をお見送りし、新たにお子さんやお孫さんがお迎えしました。諸行無常を感じずにはいられません。
元旦という節目に、また新たな年を生きていけることに感謝しましょう。

① 長男 瑛一が得度(とくど)しました。(昨年9月)
「得度」(とくど)というのは、髪を剃り、父母に別れを告げて(形だけですが)、「仏の道に入ります」という誓いを立てることです。9月18日に総代の皆さまと、結衆寺院の皆さまに見守られ、名誉住職 崇圓の戒師によって、滞りなく式が執り行われました。
まだ、寺を継いでくれると決まったわけではなく、住職になる資格を得たわけでもありませんが、僧侶としての第一歩を踏み出したことを嬉しく思っています。

② 新しい家族ができました。(昨年5月)

お参りに来ていただいた方や、岩戸の方々はすでにご存知のことかと思いますが、岩戸寺に「番犬」がやって来ました。名前をヒナと言います。昨年3月生まれのメスの柴犬です。穏やかな性格で激しく吠えることはありません。人を噛むよりも舐めるほうが好きなようです。「番犬」というより「看板犬(娘)」として、檀家の皆さまにも可愛がっていただければ嬉しく思います。
さて、仏の道に入る際「髪を剃る」と申しましたが、私も髪を剃ることにしました。
 鴨長明の歌、
そりたきは心の中のみだれ髪
   つむりの髪はとにもかくにも
は、「頭を剃るよりも心を剃れ」という意味だそうで、自戒の歌にしたいと思っています。見かけだけ髪を剃って仏門に入った僧侶の姿をしても、心の中に仏道を求める本当の決意がなくては何もなりません。ものごとに執着する気持ちや、さまざまな雑念をさっぱりと剃り落とすことが大切です。これは、仏門に入る時に限らず、毎日を生きる上では誰にでも必要なことでしょう。
まずは大晦日に除夜の鐘を聞きながら煩悩を剃り落とし、お正月は新たな気持ちで迎えたいものです。とは言っても、初詣で皆さんがお願いすることのほとんどは煩悩かもしれません。
「商売繁昌!儲かりますように」
「新しい車が買えますように」
このような「欲」望にはきりがありません。十万円儲けても、百万円儲けても、お金は次から次へと欲しくなります。新しい車を買っても、モデルチェンジをすれば、また欲しくなります。
もちろん、欲を持つこと自体が悪いわけではありません。食欲、性欲、物欲があるからこそ、人は、自らの生命を守り、子孫を残し、精力的に働くことができるのです。でも、生きていく上で、自分だけが幸せになれればよいわけではありません。仏教のことばで、自分のことだけを考えた欲のことを、「小欲」と呼びます。
それに対して、自らの欲を周りの人たち、ひいては国や世界、地球上のありとあらゆる生命の幸せのために生かそうというとき、その欲を「大欲」と呼びます。どうせ、欲望を抱くなら、大欲を抱き、自分だけではなく家族や友達、遠く離れた仲間の幸せも「欲」したいものです。
…もちろん、「欲」でなく、
「家族、親戚が健康で暮らしますように」
「世界が平和でありますように」
と、「願」をかける方は多いでしょう。その一人一人の「願」は、ろうそくのように、世界の一隅を照らし、やがてはその「願」がつながり合って、大きな燈明となるのだと思います。お寺にお参りして、手を合わせられる際には是非、だれか大切な人たちのことを思ってお祈りください。

とこやみの ひとのこころを てらさんと
岩戸のてらに あさひ うつろう

(「燈明」第5号 2013年正月号より)

No comments yet.

コメントを残す